FC2ブログ
topimage

2014-01

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

インスタント・ガラス - 2014.01.29 Wed

    
先日、夫の伯母の葬儀に行く朝。
7時に家を出て駐車場へ向かったところ、車はこの状態。


140129-1a.jpg


夜露と冷え込みで表面がバッキバキに凍っている。
見ているだけで寒い~~~。


140129-2.jpg


フロントグラスも真っ白で、このままワイパーを動かすと
更に悲惨なことになるのは、ワタシも経験済みである。

そこでやおら1.5Lペットボトルを取り出した夫。
どうやらこれあるを見越して、お湯を持ってきたらしい(笑)


じゃぼじゃぼじゃぼ~~~~~


…と、掛けはしたものの、今現在も冷え込んでいるため、
流した湯はあっという間に冷え、元の霜と一緒に凍りついてしまった。


「まあ、そのうちに太陽出てくるからだいじょうぶだよ。
 とりあえずは真ん中だけ見えれば」


まだ端っこは凍りついたまま、しかし行き先は遠いので
解けるのもそこそこに走り出す。
数百メートル走ったあたりで、ちょうどお日様が出てきた。


140129-3.jpg


ここで一首。

      早朝から遠方へ葬式に向かう折に詠める

  朝焼けと出かける我を悩ませるお湯かけ3分フロントグラス


 

…まさにインスタント・ガラス、とは下弟の評。


       
スポンサーサイト

三婆。 - 2014.01.28 Tue

    
夫の父方の義伯母たちは、従兄弟たちの間で「三婆」と呼ばれている三姉妹だ。
彼女たちの下に、本家の義伯父と義父がいた。
弟たちが70代前半で亡くなったあとも姉たちは元気いっぱいで、
義母父のお葬式や埋葬、墓についていろいろ口をはs…もとい、アドバイスをくれていた。

しかし80を過ぎてからの彼女たちは、さすがに体調を崩し、
頭の働きのほうも段々とおっとりさんになってきて、
ひとりまたひとりと、年齢順に亡くなっていった。



そして先日。
三婆の三人目の義伯母が、とうとう彼岸に行ってしまった。


140128-2.jpg


前回夫側のお葬式に出たのは2年前、当の義伯母の夫であった義伯父の時だったなと
同じ葬儀会館で同じ精進揚げの食事をいただきながら思い出す。
あの時すでに痴呆症が始まっていた義伯母は、
お葬式でワタシたちに会っても誰だかいまひとつ判っていないようだったが
かつてのキツイ物言いも、物見高い様子もまったく消えてしまって、
ああ義伯母ちゃん、年取ったなあと寂しく思えたものだ。

それからわずか2年で、義伯母は夫の所へ行ってしまったのだ。
これで義父の姉弟は「全員おらんようになったなぁ」と
両親を相次いで亡くした従兄が感慨深げに呟いた。
…うっかり涙ぐみそうになって、慌てて呑み込んだ。



夫の伯父伯母で最後に残ったのは、お嫁にきた本家の義伯母だけ。
その義伯母もすでに妖精さんになってしまっていて、
従兄の妻である本家のお嫁さんによれば、一時期の暴れようが嘘のように穏やかなのだそうだ。
「あの頃は大変やったけど、今はホントに楽になったわ」
ちょっと寂しそうに言った彼女の言葉に、また泣きそうになった。


              
        

マイヤーリング - 2014.01.25 Sat

…と、書くのに抵抗があるのだ、実は。

Mayerlingはオーストリアの小村の名前で、
ドイツ語読みをより近いカタカナ表記にすると
「マイエルリンク」または「マイヤーリンク」となる。
少なくとも「リング」ではないので、元の地名に親しんだワタシにとっては
スマホの液晶の曇りを拭きたくなるような気持ちに駆られてしまう。



で、マイヤーリンク(←こだわるヤツ)とは何か。

主人公は、ミュージカル『エリザベート』にも登場した
オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と
皇后エリザーベトの長男として生まれた、ルドルフ皇太子。
まさに絵に描いたような理想家で甘ちゃんの彼が、
父皇帝への反感や政治的信条の対立などから孤立し、
放蕩の挙句、妻ある身で男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラと
射殺死体で発見されたのが、マイヤーリンクの狩猟別荘とされている。

この事件を元に後世、フランス人作家クロード・アネの手によって
皇太子と若く美しい男爵令嬢の悲恋を描いた『うたかたの恋』という小説が書かれ、
またこの小説を原作として数多く映画化・舞台化がなされている。
ワタシも夢見るオトシゴロだった昔に原作を読んだり、
宝塚歌劇の舞台に夢中になったものだ。



ルドルフの死の真実の解明には諸説噴出している。
まずはロマンティックな悲恋小説のモチーフともなった恋ゆえの心中、
八方塞がりの状態に絶望したルドルフがマリーを道連れにした無理心中、
ルドルフの反プロイセン・反ビスマルク的言動に危機感を抱いたドイツ帝国側による暗殺、
それを理由に対ドイツ政策が窮地に陥ることを回避するためのオーストリア政府による謀殺と
様々な"背景"が考察されているが、未だその謎は解明されていないらしい。

ワタシは最後の謀殺説を採るが、いずれにしても
ルドルフ皇太子が考えの足りない我慢の効かないお馬鹿さんだったということはわかる。
皇太子としての立場を省みず、国を危うくしかねない言動を繰り返し、
父皇帝を窮地に追いやり、望みが叶えられないからと遊興三昧。
古今その地位を剥奪された皇位継承者はあまたあれど、
目的のために雌伏の時を耐え忍ぶだけのど根性もない彼が
あの激動の時代の欧州で、皇帝として国や国民を守れるかは甚だ疑問だ。

が、まあそれは映画には関係ない。
映画は甘い甘い胸キュンストーリーじゃなくちゃね♪ ←ぉぃ



閑話休題。
最初で最後の劇場公開と銘打たれたヘプバーンの『マイヤーリング』を観に行って来た。
これは1957年にアメリカで制作されたTVドラマ版である。
オードリーの可憐さは言うまでもなく、当時の夫であったメル・ファーラーの演技も見事だった。

140125.jpg


だがさすがに60年近く前の作りゆえに、デジタルリマスターでもフォローし切れないほどに
荒れた画面と、手作り感満載のタイトルバックはナナメに歪んで
微妙にフレームアウトしていたりする(笑)
おまけにこのチラシを見るとおり、放送されたのはカラー版だったのだが、映画は何故か白黒。
キネスコープ方式で録画する際に白黒に落ちたワケ…?
よくわかりません(・_・)

あとねー、あのホーフブルクだかシェーンブルンだかわからないけど
宮廷舞踏会の場面、ちょっとなんと申しましょうか、ちゃちな感じが否めない(^^;
アメリカ人の考えるヨーロッパ宮廷や社交界、貴婦人という存在が
自国の上流階級をモデルにしているのは当然かもしれないが、
もう少し厳然たる、荘重なる雰囲気があると思うのよね~。
かつての神聖ローマ帝国皇帝の宮廷なのだから。


――Bella gerant alii, tu felix Austria nube
  戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ――


これはオーストリアの各国王族・皇族との婚姻政策を評した言葉として有名だが、
その意味ではルドルフは失敗くんだったワケだ。
彼のみならず、彼に続く皇太子となり、
サライェボ事件で暗殺されたフランツ・フェルディナント大公もしかり。
爛熟のオーストリア帝国は、すでにこの時に命脈が尽き果て、
ルドルフの父であったフランツ・ヨーゼフ1世が、
事実上の"最後の皇帝"と呼ばれるのも宜なるかな。



             

フェルトな日々 - 2014.01.24 Fri

     
その後の羊毛フェルト。
猫です。
できればアメリカン・ショートヘアに見えてあらまほしけれ(T▽T)

っていうかもっとリアル系を目指していたはずなのに、
長らく離れていたリハビリ段階としては、植毛→トリミングは
ちと敷居が高すぎた…。

結果として妙にコミカルなにゃんこになりそうです…orz

140124.jpg

ハラからまりこ - 2014.01.23 Thu

       
…と、タイトルを書いたものの、
元巨大女性グループのお姉さまメンバーについての話ではない。



青木まりこ現象、というものをご存知だろうか。
Wikipediaによれば「書店に足を運んだ際に突如こみあげる便意」のことである。
名称の由来は1985年にある雑誌にこの症状を投稿した女性の名前からきているそうだが、
症状そのものはたくさんの人々が経験していることのようだ。

――実はワタシも子供の頃からこの状態になることが多い。
シモの話で恐縮だが、初めて経験したのは小学校5年生の時。
近所の商店街の本屋で突然もよおし、家まで走って帰った(^^;
それからも本屋へ行って本を選んでいるとなぜかお腹がぐるぐるいいだし、
以来、入店前にトイレの位置は必ず確認することにしている。


なぜこうした症状が起こるのか、くだんのWikipediaのページでは
精神面・環境面等から、さまざまな原因考察がなされている。
いわく、広場恐怖・緊張感・本の糊などによる化学物質刺激・排便習慣・立ち姿勢などなど。
そのいずれもが思い当たるふしがある。
特にワタシとしては、いとうせいこう氏が立てたらしい
「買うものを決めなくてはいけない、という焦燥感が便意を催す」という説に一票を投じたい。

しかしながら今もって科学的・医学的に立証されたものがない、というのが
実際にその症状に悩まされている者にとっては、いまひとつ得心がいかない。
単なる思い込みと自分に納得させるには、あまりに頻々とその状態に追いこまれるからだ(-_-;)



ワタシの場合、これが実は本屋だけで起こる症状ではない。
以前も雑記や旅行記(さくら通り>Recit du voyage>英仏渡欧記>ロンドン滞在1参照)
で書いたが、書店以外でも美術館・博物館あたりへ行くと同様の現象が起きる。
そこがいとう氏の説を支持する理由なのであるが。

巨大博物館などへ行く場合、必ずしも順路が表示されているわけではないし、
またあまりにも広い建物内のすべての展示物を見たいわけでもない。
そこで最初に鑑賞するエリアなどを選択し、効率的に回るための最適な道順を最初に考えるのだが、
その際に館内案内図などを注視していると、覿面に腹具合が悪くなるのだ。

自分が好きな展示物の選定と場所確認、
相当数に上るそれぞれの場所を効率的な巡り方、
館内カフェやミュージアムショップの滞在可能時間と
帰りのバスのタイミング等々、滅多に使わない頭をフル回転させて、
プライオリティの高いものを優先させ、脱落したもののフォローまで考慮していると、
ココロはワクワク、身体ビリビリ緊張しまくってしまう…らしい(-_-;)

海外の博物館の類は特に、古い城館や宮殿、ホールを利用していることが多いので、
トイレが館内のあちこちにあるわけではなく、入口付近だけだとか、
逆にもっとも奥のエリアまで行かないとならない場合も多い。
うっかり歩き出してからルートを健闘したりしていると、
トイレからも入口出口からも遠く離れたところでもよおすなどというハメに陥る。

もともとお通じが決して良いとは言えない体質の上に、
旅行中とあってさらに食事の変化に影響されやすい腸環境になるので、
最近ではこの現象を逆手にとって、美術館・博物館へ行くと
料金を払って入館した直後に真っ先にトイレに行くようにしている。
…だってせっかくの生の傑作群は、ココロもカラダも落ち着いて鑑賞したいではないか!(力説)



こんな症状はワタシだけなのかと思っていたら、
Wikipediaで長文解説ページが作られるほど、世間では蔓延しているらしいと知って
実はかなりホッとした(笑)
外国ではそうした症状を訴える人はあまりいないようだが、
これが日本人の体質・もしくは精神的特質によるものだとすれば、
なんと繊細な人種、わけでもこの症状を持つ人々のデリケートさたるや
壊れやすい硝子のようなものではないだろうか。


…ってその結果がトイレで青汗ってのが、どうにも繊細さとは縁遠いんだけどね…。



          

思い立ったがフェルティング - 2014.01.22 Wed

        
久しぶりにフェルティングをやろうと思い立った。
思い立ったがヤリ時……だったのに、
プラスティックアイが在庫切れだったので、始動が5日は遅れたのが痛恨。
材料の羊毛は各色取り揃えて山ほどあるんですけども。

で、ようやく適当なものを手に入れたのが昨日。
チクチク開始~♪

以前、だのしろくまだのテディだの和菓子だの和菓子だの
ペンギンだのぴかちゅーだのと作っていたのだが、ここ数年はお見限り。
コツやらワザやら、すっかり忘れてしまった現在であります。
あの頃に比べるとフェルティング技法も一般化し、いろんな方が作っておられるので、
ネット検索すると山ほど出てくる作品群を参考にさせていただいて、
やっとの思いで記憶を掘り起こし、作業開始。

1489118_537065736400760_1878835642_n.jpg


…現在絶賛制作中。
出来上がったらまたアップします。
それにしても、カンが鈍って型どりが難しい…。


                

旦那嫁 - 2014.01.21 Tue

  
ワタシの学生時代からの友人には見合い結婚が多い。
生育環境のせいだと思うが、おそらく半数以上がそうだ。
社会人になってからの友人には恋愛結婚率がぐぐっとあがる。
ワタシ自身がいろいろな人と知り合ったからだ。
かくいうワタシは、一応恋愛結婚のカテゴリーに入る縁づき方をしたけれども。

お断りしておくが、ワタシはここで見合い/恋愛結婚の善し悪しを語ろうとしているわけではない。
どちらにもメリット/デメリットがあるとは思う。
でも結局は見る目と、自分で選択した結果に責任を持つか否かという話だろう。
結婚はどんな場合でも、起こりうる問題は似通っているし、
その原因も根っこは同じだと思うのだ。



ところで、最近ワタクシ、NHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』を毎朝楽しみにしている。
半年前に世を席巻した『あまちゃん』よりこちらの方が実は好みで、
クドカンはやっぱり合わないわぁなどと思うオバチャンであるが、閑話休題。
その『ごちそうさん』HPで行われているアンケート結果がちょっと興味深かった。
主人公め以子が小姑である夫の姉に言われた言葉についての是非を問うものだ。


「その家にはその家の家風いうもんがあります。
 嫁に入るということは家風に染まるいうことです!」


これに「共感できる」と答えた人は29%。
「共感できない」と答えた人は71%だったそうなのだ。
ちょっと意外。旧家さんってそんなもんじゃないの?
まして時代を考えたら当然そうなるだろうに。

――まぁドラマではさらにもろもろの背景があって、
ふつうの旧家さんより一層の面倒臭さが加味されているのであるが(笑)
あ、ワタシ、小姑・和枝役のキムラ緑子さん大好きです。
見事な大阪の"いとはん"っぷり、ほんまにカッコええわ~♪

アンケートに答えているのがあくまでも現代人である、ということに立脚すれば、
この現代に「嫁に入る」ような結婚をすれば、そりゃ家風に染まらねばならんだろう。
そういうことを求める「家に嫁ぐ」のだから当然だ。
それが嫌なら、「嫁」に行くのではなく、「結婚」をすべきなのだ。
め以子の時代ならともかく、現代ではその気になれば可能なのだから。



先述のワタシの学生時代からの友人達の中には、まだまだ「家に嫁いだ」人は多い。
同窓生の先輩方、それも8学年上以上のお姉さま方は尚更だ。
彼女たちの時代は、ご自身の言葉を借りれば
「当時は女性が仕事をするなんてお見合い結婚は諦めなければならなかった」そうだ。
「諦める」って考え方が時代ですよね(笑)

でもだからといって、現在の彼女たちが今なお家風に縛られ、
不自由な生活をしているかというと決してそうではない。
ある程度の家風、ある程度の格式を保持しつつ、
自分のやりたいことを貫き、あるいは探し、
譲れないものを守り、楽しく毎日を送っている。
彼女たちもカッコイイ。
それは、旧家で嫁いびりしているかのように見えて、
実は家を守ろうとしている小姑の凛とした姿と重なるところがあるのだ。不思議なことに。



ワタシも、夫の実家は決して旧家というわけではないが、
田舎の習慣や付き合いにある程度縛られることを覚悟で「嫁に行った」。
けれどそれは自ら選んだ道で、異なる習慣や納得しきれない風習に
悩んだり首を傾げながらもここまでやってきた。
夫もワタシも「それなりに」家や親や先祖を大事に思い、
ワタシたちなりのスタンスを探しながら、新しいスタイルを作ってきた。
だからもちろん、旧家に嫁いだ友人や先輩方、むろん時代のまったく異なるめ以子などとは違う、
ごく現代的な考え方や暮らしぶりだと思う。
ま、田舎での付き合いでは完全に「いい嫁」に化けてますが(・_・)

だがワタシは、夫族が使う「ヨメ」という言葉が嫌いだ。
あれは「家に入った女性」というよりも、周囲に対する「オレの女」的な意味合いが強い気がするのだ。
なんか動物的でイヤ。いや動物に違いはないんだが。
ちなみに我が夫は対人は友人・上司・同僚問わず「妻」だそうである。
彼はおそらく「家に迎えたワケじゃない」と思っているのだろう。

――とか言いながら自分は、書き文字はともかく、口語では「旦那」「主人」を使っている。
偉そうに書き連ねたわりにはヘタレっぷりも甚だしいが、
周りに合わせているワケで、内心忸怩たる思いである。
でも出来れば使いたくない。「夫」と口にして違和感のない会話でありたい。
旦那族も「周りに合わせて使ってるけど、
ホントは"ヨメ"って使うの好きじゃない」ヒトが多いといいな…。


       

ジジィ二態 - 2014.01.20 Mon

   
去年の秋の話。
定期検診の病院に出向き、いつものように予約を入れているにも関わらず、
長時間待ちの待合室は大混雑。
…まぁ、午前中のこととて当然ながらご老人が多いワケですが。

内科診察終わったおじいちゃん、何回説明されても、
次の診察日(他科含む)と今から行くべき所(会計と院内薬局)と
持って帰るもの(次回診察予約票)がわからんらしく、
医療事務の女の子がイライラしながら困ってる(^^;;
おじいちゃんはベンチの自分の横に荷物をどかんと置いて、
隣に座りたそうな人が入れ替わり立ち替わりやって来ても
自分が説明を理解するのに必死なのか、まるで気づく様子もない。
仕方がないのでワタクシ、杖をついたおばあちゃんに席を譲った。
いや、ワタシも腰と膝が痛いんですけど、まぁそこはホレ、年の差ってことで。

……でもおじいちゃんの横で聞くともなしに聞いていたワタシは
彼の予定を全部憶えた(・_・)



そして爺ィPart2。(←すでに対応が違う)
帰りにお茶を飲みに立ち寄ったパンカフェにて。

「先にお席をお取り下さい」の指示通り、文庫本で席取りしてから飲み物を買いに行き、
もどってみたら勝手に本が退けられて、爺婆が座っている(-_-;)
おまけになぜか二人でテーブル3つ、六人分の座席を占領していた。
他に空席はない。
…ワタシにどこへいけと?

あの…ここに本置いてませんでした?
「ああ、あったわ、ハイ」
って渡されても(汗)

あのぉ…どちらかに寄っていただけませんか、と声をかけたら、
初めて自分がスペース占領してることに気づいたらしい。
でも相変わらず二人でテーブル2つの四人席をナナメに占領。
他のお客さんが困っていたので、ワタシが向いの席に置いてあった荷物を膝に抱き、
相席でよろしかったらどうぞ、と勧めるハメに。



年をとる、というのは、周りに気がつかなくなることだと改めて思った。
というより、気づいた。
思えば我が両親も、特に母はもともと関西でいうところの「気ぃ遣ぃ」で、
他人の動向が気になって仕方がない、というか、ことさら周りのことに気を払うタチなのに
昔よりも「思い当たらない」ようになってきている気がする。
でも、彼女の名誉のために言うが、決して図々しくなったというわけではない。
指摘されれば詫びの言葉とともに腰軽くあっさりと譲る程度には「気ぃ遣ぃ」は健在(笑)

たぶん説明理解に必死だったおじいちゃんも、このジジババ様方も、
他のお客さんが声を掛ければ気軽にどいてくださったのだろう。
ワタシに本をポン、と渡してくれたのも、
ワタシが本を忘れていったと思って、渡してくれた…んだろうと思いたい…が…。



…ま、いいけど。
でもその本、腐ってるよ(・_・) ←密やかに脳内復讐


      

そして翌朝。 - 2014.01.19 Sun

     
今朝起きたら、なんか二の腕の内側と脇がイタイ。
両手の親指の付け根もイタイ。


夫「昨日なんか重いもの持ったっけ?」


…いやー…何にも心当たりがな………。



…ある。


思い出した。パスタだ。

麺棒で必死になって生地を伸ばしたからだー!(T▽T)
普段使わない筋肉を使って痛いワケですね(-_-;)

夜になるにつれ、二の腕から前腕部(肘から手首の間)に痛みが移ってきた。
…トシですね…orz
明日になったらさらに違う場所に移動してるのかなぁ…。


パスタマシン、切るのは自分でやるから、
伸ばすのだけやってくれるのないかしらとか、おバカなことを考えるワタクシであった(´Д` )


     

生パスタ - 2014.01.18 Sat

最近生パスタにハマっている。
よく”もちもちした”と表現される食感だが、
ワタシは餅的な粘着性よりも、煮込みうどんとかほうとうのように
”とぅるっ”とした感触が好きなのだ。

あの食感が恋しくて、スーパーで買ったりしていたのだが、
たまたま先日出向いたCO-OPになかったので、
一念発起して自分で打ってみることに。

以前うどんは打ったことがあったんだけど、パスタは初めて。
そういうことは一通りやっている妹が、マイレシピを送ってくれた。

手打ちパスタ

ふむ。わりと材料は少ない。
強力粉は切らしているので、それだけ買ってきた。
土曜日の午前中に、指示通りにビニール袋に材料を放り込み、混ぜる。
…爪で破りそうになる。

掃除をしている間に冷蔵庫で寝かせて、よく練ってからのし台で伸ばし、四等分にして、一枚ずつ薄くしていく

…のだが。

これがなかなかどうして、腰だの肩だの痛いのだ。
…腕が太いとかそういうことは気にするな(-_-;
最後の一枚は夫と選手交替。

伸ばしたら切りやすいように三つ折りにして、妹のレシピではハサミとあるが、包丁で1cm幅にする。
打ち粉はたっぷり。

ソースはクリーム・ボロネーゼを簡単に作っておき、いよいよ茹でる。
通常生パスタ、タリアテッレやフェットチーネの類いは、
太さにもよるがだいたい2分ほど茹でる。
しかし少々厚めなうちの手打ち麺、幾分長めの2分半茹でてみた。

140118a.jpg


茹で上がったらソースに麺を投入、パルミジャーノを削って…といきたいが、
ここはお手軽に市販のパルメザンチーズ(^^;;
軽く混ぜたら出来上がり♪

140118-12.jpg

…旨い。
ちょっとばかし麺に歯ごたえがありすぎるが、まだワタシの歯なら無問題(´・_・`)
でも次は薄力粉も配合して、薄く伸ばそう、と堅く決意したワタクシであった。

…パスタマシーン欲しいよぅ。

記憶。 - 2014.01.17 Fri

        
明け方、浅い眠りの淵で、突然どかーん!と下から大音響がして、
反射的に地震だ!と飛び起きた。
1歩踏み出したところで、まだ眠っている夫に声を掛けようとしたら
突き上げるような縦揺れがきた。

声も足も出なくなり、代わりに口を突いたのは
「きゃーーーっっっ!!」という、
それまでのン十年の生涯で出したこともないような、やたら女子っぽい叫びだった(^^;
夫は未だに「自分だけ逃げた~」と恨めしそうに言いますが、一応起こそうとはしたんだよ…?

その一瞬一瞬が昨日のことのように思い出せる。
なのに昨日の晩ごはんは忘れちゃったりするのは我ながら遺憾としか言いようがないが
それはともかく。


身近なひとを亡くしたわけでもない、というワタシのような者でさえ、
あの日の揺れが付けた傷は、19年経っても確かに残っている。
まだ暗くて余震の続く中、職務上どうしても出勤しなければならない夫を見送った朝。
ぐちゃぐちゃになった自宅にいられず、車で15分ほどの実家に身を寄せながら
その後、音信不通になった夫が心配で、思い余って激震地の中心だった職場まで
歩いて訪ねて行こうかと思いつめていた3日間。
真夜中に戻ってきた夫を実家で出迎えた時の安堵感。
今でも忘れられるものじゃない。


直接の知り合いを亡くしたわけではなかったが、
知り合いの知り合い、そのまた知り合いとなると、たくさん哀しみを経験された方がいらっしゃる。

近親者を亡くす哀しみ自体は、病気や寿命、その他の事故でも同じだ。
でもあんなふうに自分自身も恐怖の中にあって身近な方を失うという経験は、
残ったひとの心にまた違った色合いの傷を残すのだろう。

経験した人間にしか判らないこと、というのは存在すると思う。
でも、だからどうせ理解してもらえない、と拗ねるのは、なにか違う。
自分は経験してないからどうでもいい、というのも違う。
人間には想像力というものがあるのだから。


あなたの苦しみに、本当の意味で同感してあげることはできない。
でもなるべく近いところで、気持ちに添いたいと思う。
想像して、理解しようという姿勢と気持ちを否定したくはない。
判ろうとしてくれて、ありがとう。そう思える方がどれだけ温かな気持ちになれることか。

忘れたくない、忘れたい、どちらの心の動きも自然なもの。
もう二度と見たくない、でも忘れてはならない、どちらも人間のまっすぐな気持ちだ。


――あなたのそばに、いたいと思う。
ワタシのそばに、いてください。


       

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

いらっしゃいませ

このblogは
さくら通り
の1コンテンツです

今月のオシゴト

12 | 2014/01 | 02
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最近の記事

最近のコメント

各記事下部の(CM)を
クリックすると
書込窓が現れます

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

過去ログはこちら

さくらが丘雑記(旧)

ご注意

管理人が不適切と判断した
書込は即刻削除します

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。